いやいやいやいや。ダメだ、この人。教師であることに間違いはないが、オタクに一番あるまじき「ウルトラを語るのに、ウルトラしか観てない視野狭窄」の典型の人だ。
そのご高説が終わった瞬間、僕はすっと挙手をした。
田丸麻紀さんが僕を指名してくれたので、僕はド素人のご満悦批評モドキに速やかに修正を加えるべく、すぐさまマイクを受け取り、『第四惑星の悪夢』は、実は実相寺昭雄監督のオリジナルではなく、デストピア的異世界に紛れ込む主人公と、それをアシストしようとする異世界のヒロインなど、全ての要素と構造が、1965年にフランスで撮られて日本では劇場未公開だった、ジャン=リュック・ゴダール監督の『アルファヴィル』という作品を、どれだけ忠実に円谷のスケジュールと、TBSの予算と、自分の監督能力で『再現』できるかどうかに挑んだ模倣作であり、その証拠に、本話と続いて監督した『円盤が来た』というエピソードも、毎晩主人公が幻によって引き寄せられ現実逃避していくコンセプトから、隣に住む住人がうるさ型の肉体労働者という細部に至るまで、これは明確に、1955年にルネ・クレール監督の映画『夜ごとの美女』の忠実な模倣であり(ちなみに『円盤が来た』の脚本タイトルは『夜ごとの円盤』)、この時期、実相寺監督は、TBS映画部の解体と独立を視野に入れ、自身が局の金で、どれだけほれ込んだ名画の模倣が作れるかを『実験』していたと解釈するのが『正解』なのだ、と一気にまくしたて、完全にウルトラ先生の実相寺のオリジナルすごい論を全否定してみせた。

実相寺昭雄監督について語る画で挿入されたテロップのせいで、まるで僕が監督のように見える

僕は折に触れ何度でも言うが、「感想」は100人いれば100通りの解釈や好みがあっていいと思うが「評論」には「正解」があるのだ。しかも、『アルファヴィル』はゴダールの、『夜ごとの美女』はクレールの代表作であり、ウルトラ先生の『第四惑星の悪夢』論は、あまりもの映画に対する無知な解釈の押し付けといえたので、僕はそこを、少し語気を粗くして伝えた。

ビビる大木氏に至っては「市川さん、なんか当時の関係者の方なんですか!?」とかのボケで交わしてくれるしかなく、そこはそこで申し訳なく思いつつ、どんだけウルトラ先生に恥をかかせても、僕にしてみれば実相寺監督に恥をかかせるよりはマシだと解釈して、ツッコミを入れざるを得なかった。

収録が終って帰り道、収録中一寸も慣れ合う気もなかった、公式FCの人達と素早く別れて帰路についた。

4月が来て、放映された番組をチェックはしたが、僕が挙手して述べた殆どの部分は案の定カットされていて、クイズで間違えた場面だけが使われたりと、意趣返しのような真似をされたが、件の実相寺昭雄監督作品に関する部分は、さすがの円谷プロ様の御威光ティーチャーズペットの空論でも、間違いはアカンと判断されたのか、しっかり僕の訂正まではオンエアされていた。

僕にとって「ウルトラに詳しくなりたい」という熱意は、タッコングの全身の吸盤の数を覚えることではなく、当時の作り手の想いやメッセージを、他のジャンルや文化から紐解く時もありつつ、読み取ることなのだ。

まぁ、こんなこともあったよねと、今では懐かしく思い出せるようにはなったということか(笑)

次回は「市川大賀仕事歴 出演仕事編Part5 『ねこまんまの妄想実現催眠シチュエーション~女催眠術師吉田ともちゃん~』」

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