3月。
晴海ふ頭に集まった、映画界の至宝・円谷英二を含めた人たちにそういい残し、金城は今、太平洋を南下する船上から海を見つめていた。

金城は、最後の別れの儀式として、日本に残し行く人達のことを考えていた。
橋本はおそらく、今後も未来も、最後まで教育者なのだろう。
佐々木や実相寺は、俺とは二度と交わらない道を歩むんだろう。
上原と市川は、きっと俺以上の栄光をつかむだろう、いやつかんで欲しい。
田口は最後まで、泣きながら俺の手を握ってくれた。
田口は俺の後を継いで、脚本家になると言っていたけど、田口、君の目指す道の果てに、きっと俺はいないよ。
君だけの道がそこには伸びているから、君はそこを歩けばいいんだよ。

一さん。ありがとう。
本当にありがとうございました。

金城は、最後は壊れたレコードプレイヤーのように、感謝だけを繰り返した。
感謝しかしてはいけないのだと、自分に言い聞かせているかの如く。
それはおそらく、日本で必死に闘った数年間が、全て無駄だったという現実を受け入れたくない、金城の小さく弱い魂による、小さな儀式だったのかもしれない。

誰も悪くない。
誰一人悪者なんていない。
しかし人が希望を持つ限り、そこに「絶望」は生まれていく。
悪者が現れて正義の味方が倒すというウルトラマンのような世界は、やはり現実には存在しなかったのだ。

泣いた。
金城はその船上で、手すりをつかんだまましゃがみこんで泣いた。
泣き声は、誰にも聞こえてくれるなと押し殺そうとしたが、嗚咽はとめられず、せめて波音で消せる大きさで泣こうと自らに言い聞かせた。
しかし、泣き始めた金城の心はそれを塞き止めることは出来ず、最後には号泣になって、春を待つ太平洋にこだました。

誰も悪くない。
誰一人悪者なんていない。
けれども。

帰郷後、1976年2/26。
金城哲夫は、事実上の自殺で逝去した。

我々は、彼の創り上げた『ウルトラマン』に育てられた。
彼が死ぬ前、何を思ったのか知る者はいない。
我々がそれを知ることは、未来永劫ない。

しかし、生きている間に何を思い描いていたのかを、知る手がかりはいくらでも存在している。
そこにあるのは
「それを手にした者が、それを受け取る気があるのかないのか」だけ。

彼は今、光の国にいる。

(今回の文章は、当時の関係者による金城氏に対する、評伝、人物伝をはじめとして、様々な記録や著作物をヒントに、あくまで筆者が個人で創作した「小説=フィクション」であり、実在するいかなる人物・団体・作品とも関係ありません)

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