前回「『シン・機動戦士ガンダム論!』第2回 『ガンダム』前夜の1978年・3」

新企画『ガンボーイ』

先に書いた「SFの1978年」に、富野由悠季監督は『ガンボーイ』という仮題の企画に着手する。
当初は、当時放映中だった『無敵鋼人ダイターン3』(1978年)で、メカデザイナーの大河原邦男氏のアイディアで、没になった「木馬か白馬かペガサスのような宇宙戦艦」を主人公メカにした、宇宙版十五少年漂流記』を目指したが(もちろん、このメカは『ガンダム』の母艦・ホワイトベースに、そして物語設定骨子は、後の日本サンライズアニメ『銀河漂流バイファム』(1983年)に活かされている)、「新作は、『宇宙戦艦ヤマト』(1974年)のような戦艦ジャンルではなく、やはりロボットジャンルで」となったサンライズ上層部が、当時SF小説の挿絵やアニメーションで、SFメカデザインのスタジオとして機能していたスタジオぬえからのアイディア提示によって、Robert Anson HeinleinのSF戦争小説『宇宙の戦士(原題:Starship Troopers)』で登場する“パワードスーツ”という概念を手に入れた(実際、当時ハヤカワ文庫から出版されていた『宇宙の戦士』文庫版では、スタジオぬえの宮武一貴氏が設定を、加藤直之氏がイラストを担当しており、『ガンダム』でのガンキャノンのデザインなどに、そのインスパイアの名残が残る)。

その結果が“モビルスーツ”というネーミングと設定の発露なのではあるが、そこはここでは些末な雑学に過ぎず、この段階での「富野草案」を、少し『ガンダムの現場から』キネマ旬報社)に残された、当時の富野氏の記録から抽出してみよう。

企画メモには章立てがしてあり、『ガンボーイ・アプローチ』『番組構成のもくろみ』『本編7話の装飾とテーマ』に続き、『ストーリーへの対処の基本姿勢』では、こう書き留められている。

少年から青春を見上げる。
青年たちも未熟さ故の、恥ずかしさ、がある。
我々、大人たちが、かつて、恥ずかしい記憶としてある事々を、キャラクターのリアクションとして描いていく。
戦場――極限状況である。リアクションは理性的、有機的でなければならないはずだが、青年である故に、過失として累積されるであろう。
それを、少年は、本能と勘で突破する。

キネマ旬報社『ガンダムの現場から』『ガンボーイ』企画書より

そして、次の『自由擁立と隷属 自由と義務』についての結びではこう記す。

(前略)もっと端的にいうと、子供を育てるということが、生活の断面図とするのなら、戦斗状況の中では、否定されなければならないはずだ、とするのが、根本的モチーフだ。
となると、平和への欲求というのは、その日常を取り戻す、という処にある。

キネマ旬報社『ガンダムの現場から』『ガンボーイ』企画書より

そして、次章の『戦士という男の存在』で、「男とは」「女とは」に言及した富野監督は、章末でこう記す。

(前略)こんなことから、ドラマの結論は
「私はあなたの子供を産みたかった……。
今になってそう思います……」
という、一女性の語りで終わるだろう。

キネマ旬報社『ガンダムの現場から』『ガンボーイ』企画書より

この後、この富野メモは、実際の『ガンダム』の雛形ともいえる設定の記述や草案の詳細などに移るが、そこでの「物語全体のキーとなるニュータイプは、当初はララァの姿はなく、テレビ版でわずかに登場したシャリア・ブルだった」だの「完成作品でカイと淡い悲恋を演じたミハルという名が、ジオンの兄弟姉妹の中にある」とか「当初の設定では、ジオン公国は、ジオン“皇”国という名称であった」等々は、それこそ雑学のトリビアの範疇であり、ここでの本題ではない。

デニム「う……わ、わがジオン軍が誇るモビルスーツ・ザクを、こうも簡単につきとばせるパワー? あれが連邦軍のモビルスーツの威力なのか!」

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事