そういった意味で、その「主人公の情感を一切描かない」hard-boiledと「無知で無教養な人々が跋扈する社会の中を、優れた才覚と悪の力を駆使してでも、上り詰める」ピカレスクロマンとを、あえて「大藪作品群とは、性別を変えて」をやってみせたのが、東野圭吾氏の『白夜行』なのだろう。

東野圭吾『白夜行』

筆者が敬愛してきた作家・狩撫麻礼氏の作品の台詞に「hard-boiledを、なんて訳すか知ってるかい? 日本語じゃ『やせ我慢』と書くんだぜ」というのがあったが、己の感情を吐露しないことが、やせ我慢であり、そこで吐露してしまう事が人の本質的な弱さと愛しさだと解するとき、ピカレスクロマンの主人公達に、とても悲しい共感と同期は禁じ得ない。

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