前回は「市川大河仕事歴 映像文章編Part6 ゲームライター・中「すまじきものはフリーライター」」

時代は既に、パソコン時代へと移行しつつあった。
1998年。
Microsoftは、満を持してリリースしたWindows95の後継OSであるWin98のリリースを正式に発表。
それまでは「漫画やイラスト描きのプロならMac。文章書きならワープロで充分」と言われていた時代が続いていて、僕もワープロの書院を買い込んで、それで原稿をせっせと書いていた。
さぁ三度目の正直。
三回目の『別冊宝島 このゲームがすごい!』の仕事である。
ここまでをお読みの皆さんであればもうご存知のとおり、ここまで大賀さん、かなり無茶なフリの要求に応えて、立派に原稿を仕上げている。その上で勝ち取った仕事が『このビデオを見ろ!』というタイトルだけ拝命した特集記事8ページ。

当時を知らない皆さんに分かりやすくいうと、ファミコンに端を発したゲーム、家庭用でもゲームセンター用でも、それらはどれだけ巨万の富を稼ぎ出そうが、まだまだ「ヤクザ」で「水商売」な「バッタモン」商売な立ち位置がメインストリームだったのだ。
一つゲームが当たれば、それの真似やパクリはまだいい方で、下手すりゃプログラムまでごっそり盗み出して、グラフィックだけ変えて別ゲームをでっち上げて商売するなんてお手の物。
プログラムチームがその手合いなのだから、ストーリーや世界観や設定やシナリオを作る皆さんも、素敵なまでに既存のヒットした、映画や漫画、アニメ、ライバル社ゲーム等をパクっていた。
どこかで見たことあるデザイン、確かにパクリでしかないキャラ、元ネタそのままの世界観等が跋扈していた、いわゆる「昭和の駄菓子屋」感があったからこそ、「本物の大ヒット漫画家先生」が当初から参加していた『ドラゴンクエスト』は、まだ『ウィザードリィ』『ウルティマ』なんて知るわけもないファミコンユーザーから、発売前から注目されていたのだ。

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