また「野球漫画のリアリズム」から作品比較を掘り下げていくことも可能だ。知っている方には釈迦の説法だが『巨人の星』の大リーグボールや『侍ジャイアンツ』の魔球は、どれもこれも物理的に不可能で、野球のルール上もボークだが、『野球狂の詩』で、後半のメイン主人公・水原勇気が水島漫画に持ち込んだ「ドリームボール」という魔球は、さすが水島氏だけのことはあり、当時のプロ野球界で現役だったありとあらゆる名投手や名選手にリサーチし、阪神江本のエモボールと、僕が少年時代いつも高輪プリンスホテルでキャッチボールをしてくれていた、当時の日本のエース、阪急ブレーブス山田久志氏のシンカーを組み合わせた「論理的な魔球」であった(筆者の亡母が元タカラジェンヌであったことは書いた覚えがあるが、宝塚歌劇団と阪急ブレーブスは、当時同じ資本でグループ系列にあったので親交があったのだ)。
これをして、筆者がたまにアジテーションする「ガンダム化現象」を説くことも出来る。『侍ジャイアンツ』をして、泥だらけ、根性にまみれた漢同士の、繰り返される奇想天外な魔球VS魔球打ち合戦を新たな娯楽のジャンルを築いたという意味で『マジンガーZ』(1972年)の系譜ととらえれば、それらの要素を徹底的にリアリズムで「現実のプロ野球界で起きえたとしたら」を追求した『野球狂の詩』は、さしずめ『機動戦士ガンダム』(1979年)の立ち位置だろう。
そこを徹底的に比較して「梶原漫画とは」「水島漫画とは」の比較論を長々書くことも可能だ。

無論、水島野球漫画は、梶原原作の『巨人の星』へのカウンターとしてそもそも生み出されたと言っても過言ではなく、世の漫画好き、野球好きの中には、梶原野球漫画と水島野球漫画は水と油、相容れぬエンターテインメントとして安易に片付ける、対立構図派の人も少なくない。

『侍ジャイアンツ』梶原一騎 井上コオ
『野球狂の詩』水島新司

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事