web多事争論

さて、本日2021年12月10日は私、市川大河の55歳の誕生日なのですが、この場を借りて自分なりに大きな問題の発表をしておきたいと思います。
私、市川大河は、本年誕生日をきっかけにして、既存発行済の記名諸作品の名義を除き、今後すべての業務名前表記を「市川大賀」へと変更統一することといたしました。
既に公式サイトスタッフや一部契約数か所の企業とも合意はとれており、今後は心機一転で、市川大賀として再出発をしたいと思っております。

ここには何かの他意はどこにもなく、ここ数年、特にここ一年の面倒ごとの多いトラブルを振り返った時、様々な要因を振り返った時に、それまでのペンネームが持っていた、姓名判断的な画数がもたらしていた凶数というのもあるのではないかという結論に達し、55歳で心機一転することに決めた次第です。

また、先日TwitterSpaceで「大河さんのサイトの文章を全部読んでいます」と言ってくださった青年に出くわしたのですが「私は大河と友人だが、大河の本にも作品にも特に触れない」という人が多い中、これからの自分にとって大事なのはどちらの人なのか、と深く考えなおしました。

そういった縁と自分の人生の、残りの展望を顧みた時、一度自分の名前という、文字情報ではアイデンティティの全てともいえる「名前」の持つ効力を、真逆に反転させるべく「改名してみる」というのもありなのではないかと、考えが至った次第です。

元々の私のペンネームは、極めて俗っぽく場当たり的につけた名前にすぎません。敬愛した脚本家・市川森一氏の「市川」と、こちらも敬愛している俳優の石橋凌氏の息子さんのお名前の「石橋大河」の「大河」をミキシングしただけ、という無定見さで付けた名前です。
2006年に、『光の国から愛をこめて』ブログを始める際に「仮にもプロのライターが、ウルトラマンと怪獣の人形を使った画像で目を引くブログを運営していますとかは、恥ずかしい」という動機で付けた仮の名前ですので、これはもう、姓名判断や配慮などというものはなかったのも道理の時代がありました。

しかし、その後私は、その名前で公の仕事を請けることになり、また『光の国から愛をこめて』ブログも年間45万HITを越えるアルファブログになり、そしてまた時代のトレンドは「イイトシをした大人が、ウルトラマンの人形と怪獣ソフビをミニチュアセットで撮った画像を披露する事」が恥ずかしくなくなっていったため、私はどんどん「市川大河」として認知され、業界で知られるようになりました。

その先でこの名前で単著も出し、ある角度で観れば順風満帆に見えるかもしれない私のライターライフですが、内情はかなりの火の車であり、決して自己責任や自己卑下や自己評価低下だけではなく、明らかに悪意と謀略によって、私が成そうとすることや、人との縁が断ち切れてしまう「動かない現実」を前にする時、さすがの私もついふらふらと、今の自分を変えたきっかけの「言霊としての名前」を調べてみる気になったわけです。

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