以前、敬愛する映画監督の山際永三氏とお話しした時に『ゴジラ』『男はつらいよ』も、シリーズが続くと全部ダメになってしまう」というお話になったことがあった。
それは決して映画のシリーズに限った話ではなく、カルチャーや表現のジャンルやカテゴリにも言える。
筆者はつい先日、筆者がプロジェクト・コーディネーターを務める映画『ロリさつ』の公式ブログで『ロリコンは許すまじ』と題する文章をアップさせていただいたが、あのブログの内容は、『ロリさつ』に阿った提灯記事でもなく、炎上商法を狙った扇情記事でもない。

 では、ロリコン(Lolita complex)は、それが発祥した時期から、既に害悪だったのか? 実在する少女を対象とした性的虐待ではなく、創造の世界における少女主義も、全てが最初から害悪だったのか? と問われれば、実は筆者とてそこまで攻撃的ではなく、ロリコン文化の土壌を生んだ背景には、意外と背筋の伸びた文化背景があったのだと、今回はそういうテーマで筆を進めていこう。

ウラジミール・ナブコフ『ロリータ』新潮文庫版表紙

ロリコンの語源となっている「ロリータ」は、これはもちろん、1955年に書かれたウラジーミル・ナボコフ(Владимир Владимирович Набоков)の小説『ロリータ』(原題:Lolita)が元ネタであり、またそれを『2001年宇宙の旅』(原題:2001: A Space Odyssey 1968年)で有名な、Stanley Kubrick監督が、1961年に映画化したことでも知られている。ここは豆知識だが、イマドキのオタクさん達は、自らのロリコン趣味を、必死に「ロリコンとは、純粋に少女を愛でる愛情を持った者のことであって、ペドフィリア(Paedophilia 幼女に対する小児性愛性的倒錯者)とは違う!」と主張するが、ロリコンの語源となったナボコフの『ロリータ』では、既に少女を性行為の対象として描いているので、言語学的な推移はともかく、発祥としては、ロリコンはペドフィリアと同義語である。

キューブリック監督による映画『ロリータ』(1961年)

今回の映画『ロリさつ』の「ロリ」も、もちろん「ロリコン」から引用されたタイトルであり、そこでは(筆者が書いたブログも)ロリコンが絶対的な悪であるという前提で存在が否定されていて、筆者も今さらそれを否定する気も毛頭ないのだが、では日本におけるロリコン文化、ロリコンブームは、いつ発祥して、いつごろから活性化したのか、そのムーブメントの発祥からして、反社会的なるものであったのか。今回から4回に渡って、少しそこを考察してみたい。

まずは、ロリコンという呼称やブームの発祥について。
これには、いくつかの異論があり、仮説もいくつかあるので、ここで明言することは出来ないが、ロリコンという単語が純粋に活字化されたのは、早ければ60年代からであり、そのブームが一気に活性化したのは、80年代初頭であるということは、これは断言できる。

 特に、80年代のロリコンブームは、バブル景気が生んだデカダンスとしてのサブカルチャーの側面もあり、『レモンピープル』『漫画ブリッコ』などといったロリコン専門漫画雑誌の創刊や、『ロリコンランド』『プチトマト』などといった少女ヌード写真雑誌の氾濫や、『くりぃむレモン』などのロリコンアダルトアニメビデオなど、様々なロリコン商品を市場に送り出していった。

『レモンピープル』
『漫画ブリッコ』
『ロリコンランド』
『プチトマト』

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