「マラサイらしさ」とは何か。
一つには、マラサイをデザインした小林誠氏の作風やカリスマ性に起因するものが考えられる。
小林氏は、元々は模型雑誌『月刊ホビージャパン』でまずはモデラーとして名を馳せた後、この『Zガンダム』でバウンド・ドックやジ・Oをデザインし、“カリスマモデラー”から一気に“カリスマメカデザイナー”へと昇進した。
この時期、メカデザインのカリスマ二大巨頭は、間違いなく永野護氏と小林誠氏であった。
その小林氏の『Zガンダム』デザインデビューがこのマラサイなのだ。

小林マニアは、デザインのカッコよさやスタイリッシュさ、洗練されたSFメカっぽさよりも、ミリタリー兵器の泥臭さやリアリズム、鋳造表現のディテールやほこりや汚れ、有機的生物的なシルエットの「異形のメカ」を好む。
それは、スケールモデルのミリタリーモデラー出身の小林氏が、ガンプラブーム初期の、スケールモデラー達の流入の中枢部に位置し、ガンダム世界のジオラマを、あたかもWWⅡ1/35の世界であるかのように手を加えて完成させる天才であったことの影響であった。

HGUC マラサイの頭部。アンテナは折れにくいようにアサフレックス素材を使用している

そこで画像検索や資料をお持ちの読者諸兄は、『Zガンダム』の続編『ガンダムZZ』での、没となったアーリーデザイン版のガンダムZZをご覧になってみるとよい。
『ガンダムZZ』では、それこそ永野・小林の御二人に新主役ガンダムZZのデザイン提示が求められたが、両者ともに「主役に相応しくない」「実際に模型化した時に、変形合体が再現できない」という理由で没にされている。
先行したアニメ雑誌は、既に永野版や小林版ガンダムZZを誌面で紹介していたりもあったが、さらにそこに御二人のデザインが没になったという報せが流れるに至って、結果を惜しむ両デザイナーのファンの声が響き渡った。
『機動戦士ガンダム』(1979年)が一気に巻き起こした「リアルロボットアニメブーム」が、たった数年で市場の主流ではなくなってしまった間接的原因が、この騒動の流れの中にあると、筆者は思っている。

ミリタリーマニアの小林氏の蘊蓄とアイディアが詰まったバックパック

そういう前提でマラサイを観察してみる。
確かに『Zガンダム』はメカデザイナーが個の作風を持ち込み過ぎて、世界観が違うメカ同士が入り乱れるところにまで踏み込んでしまったため、メカデザインの中央に藤田一己氏がいて、多くのデザインワークスが藤田氏の手に渡り、デザイナーの先鋭化し過ぎた「個」をあえて殺し、シームレスな世界観に馴染むようにブラッシュアップされるプロセスを経ていた。
なのでこのマラサイも、初期デザイン版ではまさに「泥と埃まみれの、ゾンビ化したザク」とでもいうべき、異質かつ異才な魅力を放っていたデザインであり、しかし藤田氏のクリーンナップは、その特殊過ぎる個性がアニメ世界観を壊さないように、浮きすぎないように適度な中和剤として機能し、結果、アニメ版のデザインに落ち着いた流れがある。

多少猫背な頭部の付き方とシルエットを、上手く再現したキットのスタイリング

ここまでの経過を書けば「ホビー雑誌等での『小林誠作例』を指示していたヘビーユーザーのモデラー達」が、「アニメのフィニッシュデザインをベース」に「放映当時なりの技術力で再現」した1/144旧キットのマラサイを、歓迎するわけがなかったのであることは理解していただけるであろう。
だが、藤田氏のクリーンナップが小林テイストを完全に殺してしまったわけではなく、「常に、軽い前傾姿勢に見えるボディから頭部への繋がり」や「鋳造という製法を知り尽くしたならではの脚部のデザインライン」等、拾われている部分も少なくない。しかし、旧キットにそこまでのデリカシーを求めるのも大人げないが、模型雑誌界隈はある種モデラー諸氏のコロニーの中枢でもあり、そこから代表者として実際のアニメにメカデザイナーとしてかかわった小林氏のデザインメカの商品化だけに、評価が厳しくなったのも致し方なかったのかもしれない。
こうした「模型界隈からガンダムビジネスに参加したデザイナーやプランナーの、モデラー達との蜜月」は、それ以前のストリームベースや、『機動戦士ガンダムZZ』(1986年)以降の『ガンダムセンチネル』での、あさのまさひこ氏やカトキハジメ氏といった「現象」を送り出していくことに繋がる。

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