作・市川大河 原案・今井雅子『膝枕』より

 彼氏とのLINE。手抜きの自炊。いつもと変わらぬ休日の午後。
 でも、今日だけはいつもと違っていた。

「配達指定は14時から16時」

 空子はスマホを眺めながらそうつぶやいた。
 ちょうど良いタイミングで、鳴るドアフォン。
 よし、来た! 心の中でそう叫んだ空子は、はやる気持ちを抑えて、極めて平静を装って玄関に向かいドアを開けた。

「おまたせしやした! ヤマカワ宅配です! お荷物お届けに参りやした!」

 そんなことはわかってる!
 空子の心は、はやり過ぎて逆ギレを起こしそうになっていた。

「印鑑はイマドキいらないですよね? サインは要りますか?」

「いやぁ、これ、何が入ってるんすか? 伝票には『枕』って書いてありますが、この重たさはちょっとやそっとじゃないっすよ」

「サインは!? 要るの? 要らないの!?」

 結局キレてしまう空子であったが、配達員が逃げるように去ると、まずは玄関先で、その段ボール箱を、床におかれたまま愛おしそうに抱きしめ始めた。

「やっと……。あたしの元に……来てくれたんだね」

 いや、その言葉は、せめて箱を開けて、中身とご対面してから言った方がいいのではないか。思わずツッコミを入れたくなってしまう光景である。
 空子は、受け取った箱を、玄関先に置いたまま、 取り出したカッターナイフでテープを切り裂いて、箱を分解して中身をまじまじ見つめる。
 分解された段ボールから出てきたのは、かなりの大きさの「石」であった。
 石と言っても、宝石のたぐいでも、園芸用の石でもない、クリアな紫色の光が輝き、不思議なオーラを放っている石が、それこそ、フットボールか枕かという大きさで、現れたのである。

「あぁ……アメジスト……。あたしが夢にまで見た、抱いて眠れるアメジスト……」

 段ボールが敷かれた上に乗ったままの、そのアメジストと呼んだ大きな石に、がまんできずに抱き着いてしまう空子。
 たしかに、言われてみれば、その巨大石にはアメジストの色合いと輝きがあるが、一般的に考えて、存在しえない大きさである。
 空子は虚ろな表情で「アメジスト……あぁアメジスト」と、あからさまに危ない奴になった状態で、その石の名を呟き続けた。
 ポン!とスマホの音が鳴り、彼氏からのLINEの着信を告げるが、空子は返信どころか、スマホを手に取ろうとすらしない。

「あぁアメジスト。やっぱりこれにして良かった。一生で一度の買い物だもの。どれにするのか迷ったのよね。ギベオン隕石は波動が強く、持つと石酔いする。頭痛がしたり、全身痺れたりする。この大きさだときっと具合を悪くする。世界3大ヒーリングストーンの一つのラリマーも考えたけど、アレを枕にしてしまうと、ラリマーの効能できっとすぐ寝ちゃうから、枕の感触を堪能できない……。やっぱりアメジストを選んで正解だったのかも。あ、こんな独り言言いながら、石に抱き着いてるなんて、傍から見たら変態に思われるかも」

 というか、誰がどこから見ても、空子のその姿は変態である。
 空子はうっとりとした表情で、しばらく枕ほどの大きさのアメジストの塊を眺めていたが、ハッとして慌てて石を抱え上げようとした。
 石の重たさに、足が生まれたての小鹿のように震えたが、空子は石を全力で持ち上げた。

「ふんぬっ!」

 誰も聞いていなくて幸いである。全力ガニマタの空子は、石を抱いたまますり足で、ワンルームの、奥の座布団まで移動して、到着した空子はゆっくりと石をその上に乗せた。
 やりきった感が満載で、ホッとした笑顔でアメジストの塊を眺める空子。

「アメジスト……。カタログからでは感じ取れなかった魅力がみっちり詰め込まれてるわ、この実物。アメジスト独特の、濃淡のコントラストが絶妙で、その二つの輝きが混ざり合う境界線が、南国の海の地平線のよう。しかも水平線に欠かせない虹が、しっかり石の光の中で走っている。分かる? 水晶やアメジストに入っている虹は、石の中にあるクラックが太陽光を分解して、プリズム効果で虹を生み出すのよ、聞いてる?」

 何度でも同じことを言うが、誰も聞いていやしない。完全なアブナイ女の独り言が、ワンルームに響き渡る。そしてそのまま空子は、誰も見ていないのをいいことに、石に抱き着いて、今度は頬を摺り寄せ始めた。
 
「あぁアメジストのこの幸せな感触ぅ。この、アメジストならではの、ざらざらした部分とツルツルした部分のコラボレートが、寄せた頬に異なる感触を与えてくれて、どの角度から抱き寄せても、あたしに至福の時を与えてくれる!」

 そろそろ、どうしたものかというタイミングを、まるで見計らったかのごとく、スマホが着信音を鳴らし始めた。おそらく彼氏からの直電なのだろう。さすがにそこまで無視はできなかったので、空子は石枕に頬を寄せたまま、右足の指でスマホを挟んで引き寄せて、手で拾って、鬱陶しそうにスピーカーをタップした。


「おーい、空子。なんでLINE、既読もしないんだよ」

 案の定、空子の彼氏、竜三の声であった。あからさまに鬱陶しそうな空子が、全力本気で今の気持ちを伝えようかのように、大仰なため息をついてみせる。
 
「なんだよ、そのため息はさぁ」

 竜三のリアクションは的確だった。

「まさか、空子。お前、俺に隠れて、浮気とかしてるんじゃないだろうな?」

「ばかじゃないの!?」

 瞬間湯沸かし器の空子が、今度は彼氏の竜三に向かってキレた。

「もう一回言うわよ!? ばっかじゃないの!? 浮気ぃ!? 浮気なんかするわけないわよ! 浮気なんてねぇ、どんだけ面倒くさい生き様か、あんた知ってるの? 今の時代、パソコンやスマートフォンから様々なデバイスを含めて、通信手段の履歴痕跡の全てを抹消しながら、パートナーに絶対バレないように、浮気相手と距離をつめながら密会しなければいけないのよ? そのために、費やさなければいけないエネルギーやタスクを配慮してもなお、その結果得られるのは、日常プラスアルファの色恋とセックス! そんな面倒なことやるぐらいなら、スマホゲームに課金してハマる方が、ナンボか生産的なのよ! 分かる!? 竜三! この世で一番非生産的と一般社会に認識されているスマホゲームへの課金が、生産的に思えてしまうほど愚かな行為なのよ、浮気なんてさ!」

よくもまぁ、というレベルで空子がまくしたてた。
シラけたのか、ばかばかしくなったのか。竜三の声が冷たく放たれる。

「っていうか、空子。お前が普段からドハマリしている、ストーンパワーとかいう趣味も、相当生産性がないこと、この上ないぞ? それにお前、今は大事な体なんだしさぁ」

反社的に、やっぱりキレる空子

「ストーンパワーじゃない! パワーストーン! 死ね! あんたなんか、冬場のコンビニのレジの脇のおでんのウィンナー揚げの角に、頭をぶつけて死んじゃえぇっ!」

「改めて聞くが、それで俺が死んだとした時の、死因はなんだぁっ!」

「うるさい!」

「っていうか、コンビニおでんのウィンナー揚げの角ってどこ!? 角はどこにあたるの!?」

「うるさい、うるさい、うーるーさーいッ!」

 空子はファンファーレのように三回叫ぶと、通話を切ってスマホを部屋の隅に放り投げた。
 叫んでる間に滲んできた涙を袖で拭って、石にしがみ着く。
 石を抱きしめて、石の波動に身をゆだねると、暖かい気持ちになって、空子の心が癒されていく。

「あぁアメジスト。あなたはなぜアメジストなの? あたしにとって、あなたとの出会いはもう運命で、百回輪廻転生する前から決まっていたのよ」

 どんだけ因縁深いのか、空子は夢見心地でアメジストを抱きしめる。
 いつしか空子は、夢見心地がリアル夢状態になって、石を枕に眠ってしまった。
 石の感触は、すべすべしていたり、ごつごつしていたり、様々な感触が場所によって変わっていくが、抱きしめた空子の顔と手は、眠りながらあちこちの触り心地を堪能していた。

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