ページをめくると、そこには満面の笑みを浮かべたミシマが一言

代替テキスト
入江紀子『猫の手貸します』

「うん がんばる」

入江紀子『猫の手貸します』

女性の強さ。男性の醜さ。
女性の逞しさ。男の弱さ。

決して入江女史は、男性を糾弾したくてこの漫画を描いたわけではないだろう。
それほどに、最終二話に至るまでは、ミシマと丸山は、そして丸山の妻も含めて、明るく楽しく、しかし必死に懸命に「幸せになろう」と「今このとき」を喜び、楽しんでいた。
しかし、男の脆弱さとダメさ加減への自覚の無さは、愛した女性一人相手でもその幸せを維持してあげることが不能な上に、そんな自分でも、複数の女を愛してみせられる、幸せにしてやれる、喜びを双方に、いや複数に与えてあげられるという思い上がりは、だから人の社会は、いつだって、どこかで誰かが泣くようにできているのだ。

ただでさえ、「純粋な恋愛」が互いを幸福にすることが出来る確定切符ではない人生において、男如きが「自分より強い生き物」である女性を、複数相手に「満ち足りた時間」を共有し合おうなどという、猛獣の群れを軽やかに扱うサーカス団の団長の真似など、真似であっても出来るはずがないのだ。

筆者がこの作品を初めて読んだのは、リアルタイムで会ったので22歳。丸山と同じ性別で、ミシマと同じ年齢の頃。
軽快でコメディチックな不倫漫画と思い込んでいた、22歳の正真正銘のガキにとって、このラストは衝撃的過ぎた。自身にも、丸山と同じルーティンと策略で、恋人からの別れ話を引き留めようと足掻いて、同じように撃墜された経験があっただけに、そこで打ち砕かれたショックは半端ではなかった。

楽しく読んでいた漫画に出てくる、不倫だけれども理想的なカップルと女性に、入れ込んで読み続けていただけに、最後の最後に来て、自身のトラウマを電動ドリルで貫かれたような感覚は、そこで惨めさをさらした丸山への、ではなく、自分自身と、入江女史のような人には見抜かれているのだろうなという、強迫観念にも似た、自身の帰属する「男性」というクラスタへの、自戒と後悔しか呼び起こさなかった。

男と女が、同じ年齢であれば精神年齢は女性の方が上なのは、これは心理学でも初歩的な常識なので問題ではないが、もっと問題なのは「そこでの精神的熟成度は、男性側が年上の関係を得ることで、年齢を引き離すことで、同列に立てるものではない」という真理が、それはもう、既に男性という生き物の決定的な希望なき敗北の結論である。

男が不倫などという「それ」をやれてみせるのは、その「衝動と欲望」を、実行してしまえるだけの経済力と、他人の気持ちも、抱きしめる女性の気持ちも顧みないだけの、詐欺師や鬼畜よりもたちの悪い自我と、それら全てをひっくるめて、仕方ないさと受け入れてくれる、女性の包容力が揃っていることが前提なのだ。

男は、何が起きても、どこかの総理大臣まで偉くなっても、そこらの主婦にすら勝てないよなぁと僕がため息をつけば。

「違うよ」この作品を、やはり当時読んでいた女性が僕に向かって笑った。「ミシマはね。あの後、電車の扉が閉まって、もう丸山の顔が見えなくなったあと、一人で泣いたんだよ。決して強くなんかない子だったんだよ」

そうなのか。そういうものなのかもしれないよな。女性が描いた女性を、女性が読み解くのだから、そりゃそっちの方が正解なんだろう。うん、多分そうだ。
けどね。
それならそれで、「そこ」で泣くのを、電車が走り出す瞬間まで、我慢できるミシマはきっと、本当の意味で強い人だったんだよ。男なんかが永遠に持てず、代わりに適当な口説き文句のレパートリーと、セックスの経験値でしかカバーできず、しかも、それでカバーしきれていると思い込めちゃうようなクズ男の群れじゃ、やっぱり永遠に、女性にはかなわないんだよ。
そのクズ男が例え、「表面上では軽く振る舞っていても、心の底には、寂しさと弱さと純粋さを隠し持っているんだよ」というシナリオとキャラ設定と、ロールプレイ「手札」として隠し持っているつもりでも、「それ」は決して「本気の全力」とは全く違うものだから、それで釣られる女性とは「誤魔化しあっている」だけで、その誤魔化しあいの時間が長引けば長引くほど、勘違いの面倒さは深刻化していき、強くてたくましいはずの女性まで、クズ女にしてしまうんだよ。

だから。
ミシマはやっぱり、好きになった男性でもある丸山を、そんなクズにしたくなくて、好きな男性から愛されていた自分を、クズ女にしたら申し訳ないから、笑顔で去っていったんだよ。
丸山の側に、せめて中学生女子の半分程度でもいいので、分別と「相手の気持ちを理解してあげましょう」という道徳で教えられる基礎さえあれば、ミシマに無理な笑顔を作らせることも、走り出した電車の中で泣かせたのだとしても、それをさせることもなかったのだよ。

しかし、入江女史は、そんな男たちでも愛してくれていることが、最後のページで妻との会話で書き記されて、この物語は幕を閉じる。

女は残酷だ。強い。
この物語の終わり方を見て、改めてそう思う。
こんな醜い、無様な男にすら、幕を閉じる瞬間には救済を残してくれる残酷さ。
そんな「男という生き物」しか、愛することしか出来ない女性達からの、苦笑ともため息ともとれる終わり方。

男たちよ。今そこで手にしている「嘘しか描かれていない『萌え漫画』」を速やかに捨てるんだ。
その間に、お前たちが求め愛するべき女性達は、どんどんクズ男が食い散らかし続けて、全部クズ女にしちまうぞ、それでもいいのか?
我々も、せめて笑顔で言ってみせなきゃ、愛するべき女性の前で、何も出来ないバカのまま終わるのだよ?

「うん がんばる」

入江紀子 『猫の手貸します』

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