『東京大津波』は、パゴス、ケムール人、ガラモンという豪華キャラ競演であり、この三本だけから判断する限りにおいては、パゴスという怪獣が、ことのほか重視されていたことが窺い知れるのである。

筆者がこの『光の国から愛をこめて』で評論を書くときに気をつけているのが「放映当時の時代性や流れを見失わないようにしよう」である。

例えば『ウルトラマン』の『怪獣無法地帯』で論じたように、レッドキングは今の時代の観点からみれば

単純に投げ飛ばされただけで絶命してしまうような、弱い怪獣に過ぎない。

しかし、それが放映された当時に背景として存在していた、直前までのウルトラQブームを思えば、そこに登場した。Q怪獣達の転生怪獣の生存競争を勝ち抜いて君臨した、レッドキングはやはり怪獣王であると言わざるを得ないと、確か論を展開した。

それと同じことが、パゴスにも言えるのではなかろうか。

パゴスは、今でこそQ怪獣の中でもマイナーな印象が拭えないキャラだが、そもそもその着ぐるみの出自は、由緒正しい東宝のバラゴンであるという、正統派中の正当な怪獣であったりするのだ。

マルサン商店が当時展開していた、ウルトラQ怪獣ソフビ商品の中においても、ゴメス、ガラモン、ペギラ、カネゴンなどといった、今も褪せない人気怪獣達と共に、たった7種類の商品化枠の中に、パゴスという怪獣が存在していたのは紛れもない事実。

筆者はさすがに1966年生まれということもあって、当時の子どもたちによる、ウルトラQ怪獣の人気ランキングまでは推し量ることは出来ないが、少なくともこれらの資料を見る限りにおいては、パゴスという怪獣は、少なくとも玩具会社や円谷にとっては、ガラモンやペギラと並ぶキャラクターとして扱われていたことは間違いない。

今回『ウルトラマン』の『電光石火作戦』という話の解説で、なぜここまでパゴスという怪獣に関して記述しているかというと、賢明でマニアな読者の皆さんであればもう既に感づいておられるとは思うが、そもそもこの話は『パゴス反撃指令』というタイトルで書かれた、パゴス再登場のシナリオを、怪獣部分だけガボラという新怪獣に変更しただけで、製作されたエピソードだからである。

そのパゴスが、なぜガボラに変更されたかといえば、それはもちろん、本話撮影時には既に、パゴスの着ぐるみが、第2話『科特隊出撃せよ!(製作第3話)』に登場したネロンガという怪獣に改修されていたからであって、それゆえガボラという怪獣は「登場したときは、顔が硬質で先鋭化した、まさに地底を掘り進むに相応しい形状の怪獣だが、クライマックスにそのひれを開くと、一気に中から正統派怪獣の顔が現れる」というビジュアル的インパクトを与えられただけで、あとはパゴスそのままの扱いを受けているのだ。

実相寺昭雄監督の著書『星の林に月の船』という小説で、アラシ隊員役の俳優が監督に向かって、「なんで毎回毎回、怪獣の名前が既にわかってるんですか?」という質問があって、そこでムラマツキャップ役の俳優が「そういう細かいことを考えちゃいかん、これは子ども番組なんだから」とたしなめるシーンがあったが、この『電光石火作戦』において、ガボラが現れたとたんに民間人が「あ! ガボラだぁっ!」と叫んだり、科特隊本部における作戦シーンにおいて「キャップ、ガボラは放射能光線を吐く怪物ですね」「うん、しかもやっこさんの好物はウラン235だ」という会話がいきなり展開されるのは、それはつまり、脚本段階ではガボラはパゴスとして書かれており、パゴスは既に前作で認知されているという前提での脚本だからである。

同じことは、同じ野長瀬三摩地監督作品でもある第4話『大爆発五秒前』のラゴンにも言えることであり、これらのことから、本作は前作『ウルトラQ』の世界観を、微妙に受け継いでいるということが見て取れるのである。

・当時既に国民的人気番組になっていた『ウルトラQ』。それを終わらす手はないはずのTBS側でもあるし、あえて終わらす理由のない円谷プロ。

・両者の合意により企画され、実際シノプシスや脚本、スポンサーによる商品展開までされていながら、急遽没になってしまった「怪獣トーナメント戦」企画。

・大人気番組の制作済作品を一本没にしてまで(第28話『あけてくれ!』)前倒しして放映されることになった『ウルトラマン』

・そしてその、満を持して製作された『ウルトラマン』には、放映作品で一本、脚本段階で一本、前作の怪獣が登場する話が製作された。

・そして、予算的都合かもしくは更なる意味もあってか、『ウルトラマン』初期製作10話中、実に8体が、前作『ウルトラQ』に登場した怪獣着ぐるみの改修怪獣である。

・『ウルトラマン』初期放映中において、怪獣王と称されたレッドキングは、その劇中においては、ウルトラQ怪獣(を少しだけ改修した怪獣)を、なぎ倒し活躍した怪獣である(レッドキングを怪獣王にしようとしたことが、筆者の思い込みでないことは、その名前の由来が、そもそも『ウルトラマン』の企画時仮題であった『レッドマン』の怪獣王であるという、語呂合わせから付けられた名前であることからも解る)

これらの事実を改めて俯瞰することで実感できるのは、つまり『ウルトラマン』とは、その番組そのものが、『ウルトラQ 怪獣トーナメント戦』の企画の延長上にあった作品であり、それまでまったく違う作品空気、ジャンルのエピソード単位で活躍していたQ怪獣達が、くんずほぐれつで対戦したであろう、混沌とした「怪獣トーナメント」において、真に勝ち残り、混沌を制して秩序を取り戻したであろう存在こそが、ウルトラマンであったということなのではないだろうか。

前作『ウルトラQ』は、全てのバランスが崩れ、怪獣達が闊歩するアンバランスゾーンへ、人間が迷い込んだ世界なのだとは、この評論でも幾度か書いてきた。

そこへやってきた秩序の存在・ウルトラマンは、世界を人間の所有する物へと戻し、そこに「生き残った」アンバランスゾーンの生き物たちを、速やかに世界から退場させる役割を担っていたのではないだろうか。

ウルトラマンは一年間、39話をかけて、『ウルトラQ』でバランスが崩れた世界を元に戻したのだろう。

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