1966年7月に放映開始した、日本テレビドラマ史上に輝くドラマ『ウルトラマン』(1966年)

白黒放送がまだ主流だった時代に、燦然と現れた「銀と赤の英雄」は、大自然が生んだ怪獣という存在と、人間社会との間の調停者として、今もまだ日本人の記憶に輝き続けている。

しかしもちろん、この番組とヒーローを生み出したのは、前作『ウルトラQ』(1966年)というテレビドラマのもたらしたブームのおかげであって、むしろこの『ウルトラマン』という番組が、前作『ウルトラQ』の、番組延長強化案の一つの流れの中で、出てきたアイディアであり作品であることは、あまり知られていないのではなかろうか。

80年代のウルトラ再評価ブームからの流れによる資料検索・研究などによって、この『ウルトラマン』という番組が、円谷プロフジテレビに提出した『WOO』という、異星生物による冒険譚ドラマ企画を骨子に、オプチカルプリンター買い付けを巡って、結果的に円谷のテレビ企画がTBSに移った後、『ウルトラQ』というお化け番組のヒットを継ぐ形で、『科学特捜隊ベムラー』『レッドマン』という企画を経て、やがて『ウルトラマン』という作品に結実したことはあまりにも有名だが、それらの企画を独立した点として、線で結んだ歴史解釈とはまた別個に、『ウルトラマン』の企画経緯を読み解く道筋があるのである。

それが『ウルトラQ怪獣トーナメント戦』であった。

「世界の円谷英二がそのドル箱ともいえる「怪獣」というコンテンツを率いて、自プロダクションの総力を挙げて製作に挑んだ『ウルトラQ』。

それは当時のテレビ界に、文字通り旋風を巻き起こし、「怪獣」は子ども文化を、テレビ文化を、いや社会文化を席巻した。

正統派怪獣物語あり、SFショートショートあり、ジュヴナイルあり、怪奇ホラーあり、不条理ストーリーあり、ブラックコメディあり、初期のミステリーゾーン的企画から怪獣番組へとシフトした『ウルトラQ』は、ありとあらゆる形で「人間社会と怪獣」というテーマを描き続けた。

そこで、驚異的視聴率番組となったその作品を、まず普通に考えて、終わらせるテレビ局ではない。

本放映未放送作品『あけてくれ!』を含めて28本の作品が製作終了する時点で、TBSは円谷プロに対して、当然のように番組延長の申し入れを行った。

その結果、円谷プロ側から提示されたのが、前述した「怪獣トーナメント戦」という企画だったのである。

そこには、いずれ訪れるだろう、怪獣アイディアやストーリィテリングの、枯渇への危機感というものが円谷にあったのかもしれないし、マルサン商店という、怪獣人形で当時の玩具業界をのし上がった

スポンサーの意向というのもあったのかもしれない。

『ウルトラQ』はその当時、3クール目放映延長にあたって、既に登場した人気怪獣達を、再び登場させて対決させて、勝ち残った怪獣同士をまた対決させることで、番組全体が「怪獣の頂点」を巡る構成で進んでいく企画を立てていたのだ。

その企画の名残は、当時マルサンが商品展開していた『ウルトラQ』の怪獣二体の小型プラモデルをセットにした商品や、既出の怪獣が複数登場して展開される物語がおさめられた、朝日ソノラマの『ウルトラQ』ソノシートなどにも見受けられたりしている。

企画は実際、シノプシス・検討脚本段階まで進んでいたこともあって、『ゴロー対スペースモンスター』『東京大津波』『パゴス対ギョオ』これら3本のストーリーの存在が、現在では確認されている。

『ゴロー対スペースモンスター』は、『ウルトラQ』第2話『五郎とゴロー』に登場したゴローと、Q怪獣屈指の人気キャラクター、ガラモンの対決と思われる。

『パゴス対ギョオ』は、Q第18話『虹の卵』に登場したパゴスと新規怪獣ギョオの対決。

ギョオに関しては、深海魚を基にしたデザインが、成田亨氏によって描かれる段階まで進んでいたようで、こちらは成田氏生前に出版された怪獣デザイン画集でそのデザインを伺うことができる。

成田亨氏デザインによるギョオデザイン画

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