英二監督からのコネクションで、東宝から梶田興治監督と野長瀬三摩地監督も招かれた。東宝『ゴジラ』(1954年)以降の特撮映画のほとんどを監督した、本多猪四郎監督の助手を務めていた梶田監督と、黒澤明監督や英二監督の助手だった、野長瀬監督を招きいれたことで、円谷新番組の演出陣は、テレビの世界の若い才能と、映画界で熟成された、蓄積からくる職人が、同じ土俵で腕を競い合う形となったのである。

『アンバランス』は梶田組による『マンモスフラワー』『変身』からクランクインとなった。

初日の撮影は、皇居のお堀でマンモスフラワーの根が浮いているシーン。脚本は、梶田監督が自分で筆をとったものに、金城氏が加筆した作品だったが、同じ梶田組の2作目となる『変身』の脚本は、は、後にフェミニズム・性教育運動家として知られるようになる、北沢杏子だった(原案は金城氏)。

北沢が描いた『変身』は、女性にとって怪獣という存在が、完全に壁の向こう側の、非理解の住人であって

そしてまた、それは「生物として自分とは違う」という点において、異性である男性とシンクロするのだという、後の北沢の思想を予見させる、白昼夢のような作品であった。

『アンバランス』が、TBSからの要請によって、明確に怪獣路線となることで、SF作家クラブと決別せざるをえなくなった金城氏は、飯島監督などを通じて、詩人でもあり『月曜日の男』(1961年)などでテンポの良い作劇に定評のあった山田正弘氏を脚本に招きいれた。

山田氏の詩的さは、殺伐としがちになる怪獣番組に、一服の清涼剤として作用する、ファンタジックな作品を次々に送り込んだ。

その作風は、中川監督の資質と見事にマッチして、『育てよ!カメ』『鳥を見た』『カネゴンの繭』といったような、良質のジュヴナイル作品を生み出す一方で、野長瀬監督の「自分なりのゴジラを撮りたい」という要望に、見事に呼応する形で『ペギラが来た!』なども書いてみせる力量を持っていた。

もちろん、文芸部で金城氏を補佐していた上原氏も、『宇宙指令M774』で脚本デビューを果たした。

上原氏は、最初は「石油を食べる怪獣」という設定の『OILSOS』という脚本でデビューする予定だったが、途中までは協力を快諾していた製油会社が「コンビナートが火の海に包まれる」という脚本に難色を示し、結果的にクランクイン直前に、この脚本は没になった。

その時の上原氏の落胆を気遣ったのか、金城氏は、似た設定で『オイルSOS』という作品を、続く『ウルトラマン』(1966年)で執筆している。

その他にも、新人だった山浦弘靖氏や、スクリプターを経てNHKドラマで脚本デビューした、後に『3年B組金八先生』(1979年)を生み出すことになる小山内美江子など、次々と、才能ある作家が集まってきた。

その中の一人、虎見邦男氏は、SF作家にして、山田氏と学生時代からの親友だった。

虎見氏の『バルンガ』は、怪獣路線を超越した一つの世界を描いており、その中で描かれた怪獣バルンガは、人類の恐怖とは無縁のように、ただ浮遊し続けるだけの生き物として描かれていて、後に山田氏をして「あれは虎見の生き方そのものだった」と言わしめた。

1967年、30代にして虎見邦男は天に召された。

虎見氏の旧友だった山田氏と、円谷文芸で虎見と懇意だった上原氏は、彼への追悼も兼ねて、虎見が生前に残したプロットを原案にして、『散歩する惑星』という、これもまたふわふわと浮遊する奇妙な存在の話を、『ウルトラセブン』(1967年)で共同執筆した。

特撮監督も、一騎当千のメンバーだった。

円谷研究所あがりで、英二監督の一番弟子の川上景司氏、大映特撮の筆頭だった的場徹氏、英二監督の右腕としてチーフカメラマンだった有川貞昌氏らが、無敵のローティションで、テレビ界初の本格特撮を支えた。

「テレビ画面を通じて、お茶の間に怪獣を送り込もう」

TBSからの要請で、怪獣路線に的を絞ったその番組は、タイトルも『アンバランス』から『ウルトラQ』に改められた。当時はまだ、東京オリンピック熱が覚めやらぬ時期でもあり、オリンピック実況放送で連呼された「ウルトラC」という言葉の語感と、「問題定義」でもある英語の「Question」の頭文字をとって『ウルトラQ』というタイトルが付けられたと言われている。

(実際は、TBSでの毎週の放映日に先に放映開始されて大人気になり社会現象になっていたアニメ『オバケのQ太郎』(1965年)の韻を踏んだ趣向があったと、筆者は踏んでいる)

新タイトルも決まり、円谷プロに集まった精鋭達は皆、フィルムと格闘を始めた。

上原氏や山田氏を率いて、金城氏が「夢の設計図」を量産する。

そこに描かれた「ありえない夢想」を画にしようと、飯島氏や中川氏、一監督らが必死にカメラのレンズを覗く。

川上氏や的場氏が、特撮ステージで映し出した映像に、中野稔氏らが合成で命を吹き込んで、編集が行われていく。

前例のない作品、誰も知らないテレビ特撮の世界。

前にはもちろん道はなく、歩いた後に道が出来ているかも確認できない。

そこには何があったのだろう。

そこにはきっと、確かに夢があったのだ。

テレビが、日本が、夢と希望に包まれていた。

特撮技術という手法が、何をどこまで画に出来るのか、その限界とキャパを知っている者は一人もいなかった。

怪獣という単語ですら、そこにはっきりした定型は存在していなかった。

街を壊すのだけが怪獣ではない、火を吐くだけが怪獣ではない。

では、怪獣とはいったい何なのだろうという、飽くなき探究心だけが開ける扉が、すぐそこまで近づいてきていた。

子ども達は、既にテレビ画面の中にあったような、空き地や街角で仮装した英雄が繰り広げる、緩い活躍に飽きていた。

東京オリンピックと皇太子成婚が、戦後の終わりを市民レベルで実感させて、経済成長はうなぎ上りを始めていた。

雨後の筍のようにビルが建ち始め、日本中が超特急で結ばれる日も遠くないことを予感させていた。

東京タワーはバベルの塔のように、天を制するがごとく空へ伸び、長島、王、力道山は、日本中に活気をもたらしていた。

科学と未来を神と仰ぐ世界に、人々はなんの疑問も感じなかった。

でも、それは話が上手すぎて、やがて何かの形で、人と科学はしっぺ返しをされることを、誰よりも子ども達は知っていた。

そしてきっと「それ」は、巨大な力で何もかもを吹き飛ばしに、この日常にやってくるのだと、ワクワクしながら待ち望んでいた。

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事