往年の刑事ドラマを知っていて、それらと繋がるフィクション感を楽しむ人。
 月9やアイドルドラマしか認知していなかったので、新しさと驚きを感じて見入る人。
 『相棒』は、その両方の人々の支持を得て、瞬く間に人気を獲得し、2021年現在までにSeason19まで展開して、2008年にはついに『相棒 -劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン』(脚本・戸田山雅司 監督・和泉聖治で念願のスクリーンデビューを果たし、40億を越える興行収入をたたき出したという。

『相棒』劇場版は、2021年現在4本目までが公開されている

 主演の水谷豊にとって劇場用映画の主演は、工藤栄一監督の『逃れの街』(1983年)以降、四半世紀ぶりに実現した仕事だった。


 その、四半世紀前よりも、さらに少し前の時代。
 その頃はまだまだ、萩原健一松田優作も健在で、テレビの中の東京や横浜では、志賀勝、阿藤快、片桐竜次、石橋連司が毎週のように暴れ、田中浩、戸浦六宏、岸田森、幸田宗丸、西沢利明らがインテリ系な犯罪を犯し、その先では必ず、柴田恭兵、藤竜也、渡哲也、誠直也、舘ひろし、沖雅也、大滝秀治に仕留められていた。
 その脇では、坂口良子、関根恵子、長谷直美、多岐川裕美などが花を添えていた。
 どのチャンネルを回しても、毎週そこでは、爽快感とやりきれなさと、深い味わいと、お馴染みの安定感があり、それはある意味「一週間の仕事を終えてそこに行けば、いつもの酒場でいつもの顔が待っている」「うん、この味だよ。これですよ、これ(by『孤独のグルメ』)」的な、安堵がそこには存在していた。
 「その」中で、僕らは社会やその裏や、犯罪を起こす側、取り締まる側の、切なさや情念や、やるせなさや開き直りや葛藤を学んでいた。左的な思想作品もあった、右翼的な思想の作品もあった。僕らはそのどちらも、楽しんで観ていた。思春期の僕らはそんな「刑事達」と「犯罪者達」によって、育てられたと言っても過言ではない。

 それが至福の時代だったとは言わない。後の時代の変節を馬鹿にする気もない。そんな一律のオールインワン価値観ルールは、社会にとっても害悪だろうし、なによりも、人生が楽しくないルールになってしまうだろう。
 だがしかしそれは、「過去から未来」へ向けてだけ守られるルールでもないはずだ。

 現代は、DVDソフトなどを使って、いつでも家でその作品を楽しめる時代だが、いくら『探偵物語』(1979年)が好きでも『あぶない刑事』(1986年)を愛していても、今のこの時代にいくらソフトを何毎回視聴しても、「その作品が生み出された経緯や背景。時代。流れと必然」は掴み取れないし、それらが欠落した中で、その全てを堪能できるようには、実はテレビドラマは出来ていない。

 今回述べてきたように、『代表取締役刑事』(1990年)なければ『相棒』はなく、『刑事貴族2』なければ『相棒』もない。『あぶない刑事』なければ『相棒』もなく、極論すれば『俺たちの勲章』(1975年)がなければ、『誇りの報酬』(1985年)『あぶない刑事』以降の流れもないのだ。

 なにも体育会系的年功序列思考で、過去を敬えというのではない。
 それは結局、ただの因果律の問題でしかないからだ。
 しかしそこで、例えば『相棒』を愛するのであれば、そこへ辿り着く旅を、楽しんでみるのも一興ではないかという、提案である。
 「その旅」を続けるのには、本当は「刑事ドラマ」だけでは画竜点睛を欠くのである。
 大和屋竺宮田雪の脚本の真骨頂は、大隅正秋監督版の『ルパン三世』(1971年)というアニメにあるし、そういう意味では、数々の名脚本家や鬼才監督をテレビに送り出したピンク映画・にっかつロマンポルノという存在は、日本映像史の中では絶対に語り落としてはならない、重要な存在であっただろう。
 『特捜最前線』(1977年~1984年)の項でも書いたが、『人造人間キカイダー』(1972年)なくしては、長坂秀佳は語れないだろう。
 同じように、円谷プロと東映の子ども番組を抜きに上原正三は語れないし、国際放映『コメットさん』(1967年)以降の、山際永三監督とのコンビを語らずに、市川森を語るのも、片手落ちであろう。
 『恐怖劇場アンバランス』(1973年)なんて、脚本が田中陽造小山内美江子若槻文三、山崎忠昭、山浦弘靖、市川森一、上原正三で、演出は鈴木清順、藤田敏八、長谷部安春、山際永三、神代辰巳、黒木和雄、鈴木英夫という面子で作られているのだ。 昔『巨獣特捜ジャスピオン』(1985年)で、その主題歌を、クリエイションアイ高野がVoで歌ったとき、水木一郎だの串田アキラしか知らない狭い世界で音楽を語ってしまうような奴等が「どこのどいつだ、このド新人は」と、偉そうに言うような連中が闊歩する特撮オタクに、見せてやることすらもったいないようなお歴々である。

 また、今回何度も名前が挙がった工藤栄一監督などは、『必殺!』シリーズを抜きにして語ることは出来ず、そういう意味では『必殺仕掛人』(1972年)を初めとした必殺シリーズと、それと拮抗していた『子連れ狼』(1973年 OPタイトルを撮るは実相寺昭雄!)『木枯し紋次郎』(1972年 OPタイトルを撮るは市川崑!)『影同心』(1975年 工藤栄一・深作欣二・佐々木守・佐藤純彌)『座頭市物語』(1974年 勝新太郎・三隅研次・黒田義之等々の、ハードボイルド時代劇の流れを、無視せざるを得なかったことは、本当に残念であるし、そういった「一つのジャンルをつまみ上げて評価するためには、そこに至った流れや時代の、全てが必須要素なのである」という真理を、どうか踏まえて、楽しんでいただきたいものだと切に願う次第なのだ。

 僕達の、私達の、俺たちの時代。
 その時代に、どんな葛藤や戦いや、迷走や光明があって、今「若い貴方達」が、当然だと思い込んで認知している「テレビドラマ」があるのか。それは決して、知的探求と自己追求の手段としては、無駄ではないと思うのだ。

 なにせ、小難しい屁理屈を並べなくても、これらはまずなによりも、とにかくどれもこれも「面白くてたまらない」のだ。
 たまらん、たまらん、たまらんぜぇ♪ たまらんコケたら、みなコケたぁ♪

次回は『犯罪・刑事ドラマの50年を一気に駆け抜ける!(70年代をナメるなよ)』あとがき

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