優作は一方で映画でも、『傷だらけの天使』メイン監督だった工藤栄一を招き、丸山昇一脚本で『ヨコハマBJブルース』(1981年)という映画作品を手がけるが、これもまた、作品全体の雰囲気やキャラクターこそ『傷天』とは明確に(優作の性格ゆえか)差別化してある作品ではあるが「チンピラ探偵主人公物」で「兄貴的存在と、それをホモ的に慕う仔犬のような青年」「そしてその青年の死」「死した青年を丁寧に風呂に入れてやり、童貞だったまま死んだ青年に対して、死体を洗ってやって着替えをさせた後にそこにヌードグラビアを貼り付けてやる」ディティール等々、明らかに「『傷天』コンプレックスで追い続けた軌跡」を締めくくるに相応しい、優作らしい「優作の『傷天』の終焉」であった。

これは真偽は定かではないが、優作VSショーケンの戦いは、最後はハリウッドを舞台に『ブレードランナー』(原題:Blade Runner )1982年)で知られたリドリー・スコット監督の『ブラック・レイン』(原題:Black Rain 1989年)の、日本人ヤクザ・サトー役のオーディションで、優作がショーケンに勝つ形で幕を閉じるが、その勝負に勝つことを選んだ優作は、逆に癌を治療する時間を得ることが出来ず、その命を40歳という若さで幕を散らしてしまった。

 ちなみに、ショーケンにとってもう一人の(GS時代からの)ライバル・沢田研二とは、市川森一が『太陽にほえろ!』で初めて脚本を手がけた『そして愛がおわった(監督・金谷稔)』で競演を果たした。
 GS時代を象徴する頂点二人の競演に、当時は凄い騒ぎだったと伝え聞くが、むしろ印象深いのは、劇中で初めて拳銃を撃って人を殺してしまったショーケンの、迫真に迫る「惨めで哀れで見苦しい」演技だった。
 ショーケン、ジュリー、優作、雅俊、水谷豊。
 彼らは常に互いをライバル視しつつ、認め合い「時代」を築いていた。


 彼らを見つめ見守り続けていたのが、岸田森などのバイプレイヤーや、幾多の脚本家やプロデューサーや監督であり、そういう意味ではやはり『探偵物語』は、そこで誕生した新進気鋭作家の丸山昇一が「80年代を迎える者達から『ふたりだけの銀座』へのアンサー」を、はっきりと生み出したのだという結果も併せて「70年代の結実」と言えた。

次回『犯罪・刑事ドラマの50年を一気に駆け抜ける!(70年代をナメるなよ)』Part7へ続く

この記事が気に入ったら
フォローしよう

最新情報をお届けします

おすすめの記事