柳生十兵衛は千葉真一ただ一人!

エロイムエッサイムと聞くと『悪魔くん』を想像してしまう

どけどけ! どぉけぃいい!
我等が国民的アイドル(笑)千葉真一の、柳生十兵衛三厳様のお通りだぁ!
皆さんご存知の通り(本当に皆さんはご存知なのか?)千葉御大はこの時点で既に、映画『柳生一族の陰謀』(監督・深作欣二 1978年)をはじめとして、そのテレビ版や『柳生あばれ旅』(1980年)等のドラマでも、常に柳生十兵衛を演じ「柳生十兵衛を演じきれる役者といえば、この世には千葉真一しかいないのだ」という、日本人のDNAに流れる深層心理操作を施して今に至るわけだが、その過程における、偉大なる刻印にして、強烈無比な大パノラマ綺譚がこの映画『魔界転生』(1981年)だったのである。

千葉御大はこの2本の深作監督映画と、柳生テレビドラマ等を通じて、自分がいかにして、それこそ「柳生十兵衛の転生」であるかを、おのずはっきりと描き続け、その後もドラマ版は『柳生十兵衛あばれ旅』(1982年)とタイトルを変えつつも継続され、ようするに「千葉・柳生十兵衛・真一」は、常に暴れながら旅をするという点においては、徹頭徹尾一貫した生き様で描き演じ続け(そのキャラのビジュアルが隻眼であったゆえ)片眼を悪くしてまで、役者馬鹿・千葉はこの役に没頭したというところにまでおいて「千葉十兵衛」は「話を聞いた誰もが皆、感動はするけれど、決して誰も真似をしてはいけない逸話」に溢れている。

そういう意味ではこの映画は「この世に柳生十兵衛は、千葉真一たった一人」を、証明し刻み込むためのみを目的として、企画制作された映画の中の一本だったのだろう。

「これは絶対に三人以上は人を殺してきてる目ですわ」的な表情の千葉十兵衛

今回紹介するこの映画は、まさにそういうあらゆる角度の意味合いにおいて「千葉による千葉のための、千葉が暴れる千葉のシャシン」であることは確かなのだが、一応角川映画でもあるので、そこには当然角川文庫版原作小説もあるにはある。

その原作は、忍法小説では他の追従を許さない、日本忍法娯楽小説きっての文豪・山田風太郎大先生が、1966年から新聞小説として書き上げた『おぼろ忍法帖』
原作小説は、忍法・魔界転生を駆使した森宗意軒由比正雪による日本転覆の企みと、それを阻まんとする柳生十兵衛と関口弥太郎、その父である柔心田宮平兵衞という、この手の娯楽では御馴染みの、敵味方に別れた忍法・剣豪合戦となっているのであるが、今回紹介する映画版(と、この映画版にインスパイアされた石川賢の漫画版や、後の佐藤浩市VS窪塚洋介映画版など)ではなぜか「天草四郎率いる魔界衆VSたった一人の柳生十兵衛・無双」という、ありえないパワーバランスに置き換えられて、再構築されているのである。

なんか、これはこれで凄いことになってる、石川賢版『魔界転生』の柳生十兵衛

もちろん、普通に考えて、相手は忍法によって蘇えらせられた伝説の剣豪の、しかもパワーアップ魔物群である。
その魔界衆の面子も、宮本武蔵宝蔵院胤瞬等々(原作と映画では多少人数が変わるが)誰をとっても一騎当千のツワモノばかりなのである。
これを生身の人間が、しかもたった一人で、しかもしかも全員を討ち倒すとか、例えそれが歴史に残る剣豪・柳生十兵衛であったとしても、あまりにも無理がありすぎる展開だろうと、普通の世界ではそう解釈されるのである。
そう「普通の世界」では。

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