結局、OVA版『ワイルド7』とはなんだったのか

ここまでの文章では、激しくアニメの内容の解説や評論とは乖離してしまったが、逆を言えば「そうそうわざわざ語るほどの事もない出来」であるとしか言いようがない。
序盤の解説でも書いたとおり「努力はしている」ことは認められる。

バイクや拳銃、70年代への拘りも「そこそこ」力は入れているし、原作での魅力の一つであった残虐描写も「そこそこ」力は入れている。
寺田農氏の起用を始めた声優陣の実力は、これはもう両手を上げて賞賛すべきレベルだし、まだCG技術は投入されてはいなかった時代ではあるが、精密性を要求されるバイクのシーンでも、望月画風の再現性でも、作画崩壊もなく、総じて「卒はなく破綻もない」クオリティで仕上げられているのではあるが、逆を言えば「取り立ててアニメ化で得られたバリューもない」というのが正直な本音。

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望月先生自身の評価がどうであれ「動く『ワイルド7』」に関しては、それこそ「70年代のリアルタイム」で、国際放映が実写版をやった訳で、その「どこをどう切り取っても、自動的に70年代が焼き付けられる」同時代性は、例えバイクがGT750でも、拳銃がSIG-P210であっても、チャーシューと両国が入れ替わっていたとしても、一度は味わっている訳で(そういう意味では「そこ」も『デビルマン』と相似形であろう)20年経ってOVAでリメイクするのであれば、一般論レベルの一定のクオリティを満たすことを目的にしても意味はなかったであろう。

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『デビルマン』にせよ『ワイルド7』にせよ、作品固有の濃いファンの裾野は広く、商売としてそこに切り込むからには、他の要素を捨ててでも抽出しなければいけない「コアなファンを満足させる要素」を取りこぼしてしまうと、結果的に一番の購買層を突き放してしまう訳で、『デビルマン』『ワイルド7』は双方ともに、当時のOVA市場では「声優の人選と演技と、作画が最高に良かった『のに』」と、原作ファンに言わせてしまう二大巨頭だった。

その2作品と前後する形でOVA化が1992年に始まった『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』は、決して原作漫画『ジャイアントロボ』に忠実な物語でも人物配置でもなかったが、その「核」たりえる「横山光輝らしさ」を最大限に抽出し描いた、今川泰宏監督の手腕の高さと演出能力の素晴らしさゆえに、今も横山ファンだけでなく、一般アニメファンにも語り継がれる名作になっている。

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その差はどこで発生し、どうしてここまで大差がついてしまったのだろうか。
OVAという市場が発生したのは80年代中盤だが、そこでの「ニッチな顧客層と供給側の幸せな一致」が予測以上の数字を挙げた成功例は、実はファンが想う程多くはなく、針の穴に糸を通すようなビジネスプランでもある。
では、『デビルマン』『ワイルド7』と『ジャイアントロボ』の間に立ちはだかった壁とは、果たしてやはり、その核は「原作をシステム論ではなく、読者目線でどこまで入り込み、それを『アニメ』というメディアに置き換えるのか」を、営業側でも資本側でもない、あくまで「演出・監督業務」の人間が、把握できていたのかそれに尽きるだろう。

筆者のファン目線で語るのであれば、このアニメはあくまで「ワイルドのユニフォームを着て、望月三起也の画調に近いキャラがバイクに乗り、原作漫画『のような』物語をなぞり、無難な出来に落ち着いた、よくあるOVAの一本」に過ぎなかった。

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