カレーをかけると、なんでもカレーになってしまうという話

もうね、何がすごいってこの映画(ここまできて、ようやく映画の中身の話です)、原作や漫画版にあったSFテイストなんか、微塵も残っていないからね!?
なんか角川大社長が「この映画は『アメリカングラフィティ』(1973年)みたいな青春映画にしたい」とか、大根とキャベツとコンビーフを書い与えた彼女に「今夜はそれですき焼きを作ってくれ」って言うみたいな、ものすごいダイレクトなパワハラ×モラハラを全スタッフ関係者にかけるわ。しかもそれを、ユニオン映画日本テレビ『俺たちの旅』(1975年)とかをはじめとした『俺たち』シリーズでコンビを組んでいた、鎌田敏夫脚本と斉藤光正監督のコンビに、本当に発注書けちゃう辺りからして、もう判断力ねぇよなっていう、後々の○○逮捕騒動とかも連想しちゃうぐらいヤバい陣頭指揮なんだけど。
普通、SFと戦争物と戦国時代劇混ぜるってなっちゃったら、それ以上余計なもん足さないでしょ? せっかく、鍋の中に牛肉としらたきと焼き豆腐が並んでて、どうにかすき焼きが出来ましたよって言ってるのに、そこに「カレーをかけてくれ」って、お前それ、普通に全部カレーになっちゃうじゃねぇか的な!
百歩譲っても、それは「カレー味の闇鍋」にしかなりませんよね? もうすき焼きちゃいますよね? とか、やっぱり皆さんも思うでしょう?

で、「日本版『アメリカングラフィティ』にするんだ」って、自ら音楽プロデューサーにまで成り上がっちゃった角川春樹が、次々呼んでくる、ジョー山中氏とか、後のアルフィーとかおニャン子クラブとかおニャン子クラブとかの音楽をプロデュースする高橋研氏とか、劇中歌てんこ盛りの展開になっちゃって、あからさまに「ここ、編集でカットしたいんだけど、まだ劇中歌が続いてますんで切れません」的な理由で、昔スターで売っていたにしきのあきら氏が「気の狂った駆け落ち青年自衛官(マジです)」の演技のまま「和子ぉおお!」とか叫んで走った勢いで崖を転落するシーンが、延々続いたりとか、もうこの映画、二時間半の尺のバランスがいろいろおかしすぎて、毎回二時間半かけて再現していたこっちの身にもなれよっていうか、そんな身は全世界でもレアケースなので誰も理解できないよねっていう!

完全にどっかいっちゃったスターにしきのあきら

おかしいっていえば、そりゃおかしいのがこの作品に登場する戦車!
詳しくは、きっと「あの本(悔しいので二度とここでタイトルは書きませんが)」にも詳細が載せられてると思うので重要なところは省くけど(省くのかよ!)イマドキの怪獣映画は、自衛隊に気軽に協力を申し込んで、自衛隊賛美描写を入れることで、映画と防衛相がWin-Winの関係を築けるんだけど、この頃はまだそんな平和な状態ではなかったんで、初動でこの企画を、馬鹿正直に自衛隊に協力要請で持ち込んだら、普通にふざけるな、バカだろお前らみたいなリアクションを、当時の防衛大臣だか陸幕長だか、いやもうちょっと下の広報担当にされたらしいんだけど、ちょっと待てよ、そんな頭の悪いタイアップ失敗談って、他でもどっかで聞いたことがあるぞって思い出そうとしたら、思い出すより早く「どっちも千葉真一映画じゃねぇか」が先に思い出せてしまった『新幹線大爆破』(1975年)が「さぁーこれから! みんな大好き夢の超特急新幹線を、鮮やかに爆破しちゃおうっかなぁー!」って内容にもかかわらず、こういう映画なんで、おたくの協力がないと撮れないんで協力してくださいって、バカがバカを使い走りにしたように、大真面目に国鉄(当時のJRに企画書持ち込んで。そりゃあ常識的に「お断りします」って言われたのと構図は同じのまんまで、今思えばどっちも東映絡んでて、東映ってやっぱ、組織としては頭の中身は中学生ヤンキーレベルなんだなって、当時の中学生だった僕から思われるって、それってどうよ的な問題提起はどうでもよくって。

しょうがないから、自衛隊が貸してくれないなら、僕達で作っちゃえばいいんだ! で、8000万円を費やして、1/1で映画専用の61式戦車を作っちゃったところまでは有名だけど。
さすがのボンクラの集まりの防衛庁(当時)でも、映画で我が国の自衛隊の戦車を使いたいんで、本物貸してくれないなら、せめて設計図をください、とか言われて「仕方ないですね、はい、どうぞ」とかくれるわけもなく、じゃあどうやってあの61式戦車は製造されたのかっていうと、製造を任された企業が悩みに悩んで、ある日本当に、田宮の1/35の61式戦車プラモデルを買ってきて、これをむしろ全部のパーツを35倍すればいいんだっていう、よく言えばコロンブスの卵式発想だけど、その卵、既に粉々に砕け散ってるよね!?的なギャクギレ的発想で、本当に1/1の61式戦車をでっち上げちゃったんだから、職人根性ってすごいよなぁと、55歳を今年迎える大河さんですが、改めて感服するわけです。
っていうか、もうここまで余談が続けばどこまでも脱線するんだけど、プラモデルって、今はガンダムばっかしか売れないけど、元々はそもそも「実物のミニチュア」としてのスケールモデルって概念があったんだけど、あの世界ってさすがいろいろ細かい法則性があってね。実物の1/35スケールだとして、本物をそのまま1/35に忠実にサイズダウンしても、本物らしく見えないんだと。心理学や視覚力学を逆算して、若干のディフォルメを入れることによって、微妙にミニチュアを本物と変えて歪ませることで、リアリズムってのが出てくるらしい。
この流れで何が言いたいかっていうと、要するに田宮の1/35 61式戦車って、その時点で本物とは微妙に変えてゆがめてあるわけであって、それを35倍したからって、決して本物の61式戦車のコピーにはならないよねっていう。

これが「角川61式戦車」だ!


っていうか、そもそも原作では主役戦車は60式装甲車(APC)だったんだから、ゼロから作るんでもそっちを狙っておけば無難だったんじゃねぇかとしか言いようがないんだけど、この時期『仮面ライダー 8人ライダーVS銀河王』(1980年)とか『西部警察』(1979年)第一話『無防備都市』とかで、1/1装甲車がボスメカで登場するってのは結構ありがちだったんで、ビジュアル的に61式戦車しかないって、もうギャクギレしてたんだろうなぁ。誰って大社長が(笑)
結局、民間工場ででっちあげられたニセ61式戦車なんだけど、どうせ偽物なんだし、劇中で操縦する役の俳優さん(丸岡役 倉石功氏)がリアルタイムで運転しているところが写り込む方がリアルっていうエクスキューズで(そもそもこの辺から、何がリアリズムなのかを捨てきっている大社長)操縦システムをとことん簡素化して(どの程度かっていうと、工事現場で髪の毛の薄いおっさんが、黄色いメット被って土を掘る、ユンボと同じぐらい簡単操作仕様に)しちまったもんだから、その戦車の映画撮影後、捨てるのも解体するのも金がかかるしどうしようで、無用の長物になっていたところ、約9年後の『ぼくらの七日間戦争』(1988年)で「少年少女達が立てこもっていた廃工場に置き去りにされていた」って設定で、……っていうか、そもそも戦車って、日本じゃ自衛隊以外の、どこのどんな素敵な組織が置き去りにするんですかっていうツッコミすら受け入れられずに、クライマックスに登場するんだけど、当時まだ10代だった宮沢りえちゃんのヒロインから「エレーナ」っていう、謎のペットみたいな名前を付けられるのだけれどもこの戦車。操縦方法が簡単だから、子役の集まりの映画でも扱えたっていう、ちょっとここだけ聞くとハートフルな逸話にも思えないこともないこともないんだけど、いろいろ間違ってる気がするので、この映画について思いついた(思いついた!)次の話題に行きます!

続けて、この映画でおかしいっていえば、後の上杉謙信になるべき、長尾平三景虎をはじめとした戦国武将や、戦国時代の人達のメンタルというか人間性というか「脳の中身」だ。
ここでの景虎は、既にこの時期角川映画皆勤賞レベルでほとんどの作品で出演していた夏八木勲氏が演じているのだが、タイムスリップしてきた自衛隊と初遭遇してきた時など「へりこぷた……ふはははは! 先ほどのあれは? ダダダダ! 鉄砲の一種でござるか? ふははは!」と、まぁなんていうか、一言でいうと、知能とかIQとかがおかしい人扱いなのだ。確かに数百年も過去にさかのぼった先の「遠い先祖たち」と、主人公側の現代人の自衛隊を差別化しなければいけないのは分かるが、どこからどう見ても、景虎達の描写は、戦国武将というより原始人であり、初めて戦車や機関銃に接するシーンも、『2001年宇宙の旅』(1968年)で、モノリスと出会った時の猿みたいな描かれ方をしているのだ!

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