本項は『七人の刑事』(1961年)『ウルトラマン』(1966年)『おくさまは18歳』(1970年)等で、当代きっての人気テレビライター(自称・通常の呼称では脚本家)であった、佐々木守氏が、1998年にくもん出版から書き下ろした児童文学小説『竜宮城はどこですか』(本書は佐々木氏の遺作になった)の書評である。

佐々木守著『竜宮城はどこですか』くもん出版

本書『竜宮城はどこですか』は、メインの登場人物も中学生で、児童向けの文学の形をとっているが、その内容それ自体は、佐々木氏が全話の脚本を務めて、1976年に東海テレビで制作された昼帯ドラマ(!)『三日月情話』の実質的なノベライズである(『三日月情話』の正式なノベライズは一度行われたが、そちらは絶版になっている)。

『三日月情話』タイトル


『三日月情話』の方は、美術は日本映画界の至宝・池谷仙克氏だったり、監督はかつて「TBSヌーベルバーグ」とまで呼ばれた映像派の真船禎氏であったり、佐々木氏の名作ドラマとしては『お荷物小荷物』(1970年)と並んで、再評価・ソフト化が待望されて久しい名作であった。

『三日月情話』では、一応昼ドラらしく、大人の男女の情愛を絡ませながらの、しかし衝撃的な展開を遂げた問題作として完結したが、はたしてジュヴナイル児童文学として転生した『竜宮城はどこですか』では、ドラマの克子よろしく、消えた大切な人を追い、竜宮城を探し求める役どころは、中学生の俊という少年と、彼が追う姉と心中したとみられる男性の妹・由香に置き換えられて物語は進行していく。

『三日月情話』から、『ウルトラマン 怪獣聖書(未制作)』を経て、『ウルトラQ ザ・ムービー 星の伝説』(1990年)にまで、一貫して佐々木作品に流れていたその主張。
竜宮城、天女の国、ニライカナイ、それらはそもそも、日本原住民族が信じ求めた理想郷・常世の国であって、大陸から侵略してきた大和朝廷騎馬民族によって幾多の先住民族達は滅ぼされ、その痕跡を遺したお伽話なども、大和朝廷の都合とシビリアンコントロールによって、『日本書紀』などの「天皇の系譜の活躍と逸話」へと改変ロンダリングされ、「全ての存在に精霊が宿る」アニミズムが、対極にある「全ての精霊は天皇の神の御子である」という『八百万の神々』へと変節され、それを不思議と思わない歴史が積み重なって、この日本という国は歩み続けてきたことを、佐々木守氏は静かに討ち続けた。

この国は、どこからきて、どこへ向かうのか。

それを追い求めた佐々木氏は、2006年に還らぬ人となってしまった。
放送されれば消え去る、70年代までのテレビ界を想う時、それは今のような手軽な録画機器がなかったからこその、瞬間勝負。どれだけ鮮烈に、その瞬間を観た人の油断し弛緩した常識を撃ち抜けるか。どれだけ蔓延している「偽りの歴史」「偽りの戦後民主主義」を討てるか。氏の人生はそこに費やされていたといってもよい。

イマドキ風の言い方をするのであれば、佐々木氏は「サヨク」に分類されるのであろう。氏が最後まで掲げ続けた「反天皇制」「反米国主義」は、現自民党政権社会からすれば、反目分子そうとしか映らない存在でしかないであろう。

しかし、2017年の衆院選挙で誰かが言った。「本当の保守ってなんだろう? 失われつつある日本の伝統や文化を愛し、この国の始まりから今までに愛着も苦言も持ち、その上で今の日本を築いた憲法を守ろうとする政党は、むしろ究極左派政党とレッテルを貼られていた、共産党しかいなかったじゃないか」と。

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