「蔦屋」全店でレンタル終了へ トップカルチャー 23年までに

蔦屋書店をフランチャイズ展開するトップカルチャー(新潟市西区)は15日、2023年10月期までの中期経営計画を発表し、県内外の全店でレンタル事業を終了する方針を明らかにした。動画配信サービスなどの浸透で収益の柱だったレンタル事業の売上高は10年前の約2割まで減少。新型コロナウイルス禍による在宅時間の増加で動画配信サービスなどへのシフトが加速する中、コワーキングスペースや雑貨販売など成長が見込める分野への転換を急ぐ。

新潟日報

さて、今夜の多事争論は、ちょっと昭和後期から平成初期へと思いを馳せる語りになります。
純粋な産業資料ではなく、当時を生きた一市民としての視野で「あの頃」を思い出してみます。
それまでは、かなり映像記録にお金をかけることが可能な富裕層か、テレビ映像を録画することで仕事の一つになっていた特殊な人が、オープンリール形式のデッキで撮るしかなかった、黎明期のビデオデッキ。
そんなビデオデッキが、そのフォーマットが「β方式」と「VHS方式」が統合されぬまま、一般家庭の家電としても、流通するようになって、いわゆる中流家庭のお茶の間にも導入されるようになったのは、個人的な印象では1982年から1984年にかけての時代だったと記憶しています。

当時としては、再放映以外観ることができない筈のテレビ番組が、好きな時に好きなだけ見られたり、映画のソフトであれば、映画館に行かずとも好きな時に好きなだけテレビで観られるというだけで、タイムマシンか電送装置でも我が家にやってきたかのように、喜び湧いたものです。

そんな「あの頃」を、ひと際輝かせた存在が、当時まだポータル駅や繁華街にしかなかった、レンタルビデオ店という存在でした。
これから書くことは、今にして思えば違法行為なのですが、時代も違いますし、軽く40年近く昔の話なので、時効を前提として「そういう文化もあったのだ」という事実認識で読んで頂きたいのですが。
当時(というか、80年代後半にバンダイのアニメがブロックバスタービジネスを成功させるまでは)、ビデオソフトというのはとても高額でした。
今でも、アニメファンの間等では、規格がBDになって、収録可能なデータ量も膨大化したのに、たった数話しか入ってないソフトを、欧米などと比較した時にかなり高価な価格(といっても数千円程度)で買わされる市場にブーイングも聞こえてきますが、80年代のビデオソフトは、だいたい映画でもテレビ収録でも、一本につき、1万数千円から2万程度の価格が平均値でした。

それを、黎明期のビデオレンタル店では、だいたい「定価の一割」で一晩だったかレンタルできる、というのが相場だったわけです。
もちろん、それをそのまま借りて帰って、家で再生して翌日返却する客もいたかもしれませんが、新宿などにあるレンタルビデオ店は、ビジネスの流れとしてはレンタル代は入り口で、そこからダビングして顧客に売るというサービスがメインになりました。ビデオをレンタルしたら、次にダビングする先のビデオテープを買います。これは持ち込みでもよいのですが、ビデオテープが流通し始めた時は、まだ120分テープは3000円や4000円したものです。
その上でダビングを依頼すると、ダビング料金として10分間100円が加算されるのです。
改めて確認してみましょう。仮に一本20000円のソフトをダビングしようと思うと、レンタル代2000円+生テープ代3000円+100円×120分=6200円という計算で、ダビングされたテープが手に入るわけです。
もちろん、ビデオソフトはダビングをすると画質が劣化するということは、割と黎明期から知られていましたから、ここで最低ワンランク画質は劣化するのですが、それでも定価で買えば20000円するソフトが、6000円で手に入ると思えば、安い物だと思ってしまうのが人情です。
もちろん、これは違法コピーですので、絶対的に肯定してはいけないビジネスなのですが、実在していたという歴史を上書きして封印するというのも、私は少し違うと思います。

実際、80年代終盤辺りから、それこそチェーン経営ビジネスが市場を形成する頃には、レンタルビデオ店でのダビングサービスは、コンプライアンス上、これは出来ないとした経営者が殆どになりました。

しかし、ビデオソフトの値段は決して下がりませんでした。
カルチャーというのは、経済成長や市場論理と絡み合って形を整えていきますが、ビデオソフトはその購買層を、一般市民に向けるのではなく、チェーン系のレンタルビデオ企業に設定したのです。
レンタルビデオが一番盛んだったころは、メジャーな人気映画の新作ビデオは、ビデオ発売と同時に店頭に何十個と棚に並びます。用意した数が足りないと、すぐ全部が借りられて、待ちわびていたファンの需要に耐えきれないので、チェーン企業は同じソフトを、店舗数の数倍、数十倍購入するわけです。
それ以上に、バブル期には「カウチポテト(couch poteto)」なる米国のスラングも使われるようになり、恋人のデートや、家族の時間にと、レンタルビデオが八面六臂の大活躍をしていた時代が、確かに30年以上前にはあったのです。
そのため、ビデオソフトの単価は下がることなく、個人が趣味で買ったり、経済体力が弱い個人経営店等は、置いてきぼりを食ったと言えるでしょう。

ただ、バブルというのは、今の人は信じられないでしょうが、驚くほどの経済力が有り余っていたのです。
チェーンレンタル店は、大人気新作を湯水のように買いあさることが出来る一方で、時代の需要に供給が追い付かず、そしてまだ今ほど、70年代までのテレビ作品が再評価ソフト化もあまりされていなかったので、主に米国やイタリアや英国で、不人気に終った映画や、日本で公開するに至るほど、予算的にも内容的にも、箸にも棒にも掛からないレベルの映画が、タイトルだけでも『ランボー者』などと、ダジャレか『ゾンビ2』のように、あたかも続編(実はこのタイトルでビデオソフト化された作品は、『ゾンビ』という映画とは関係ない)であるかのように偽装され(笑)昔のレコードの「ジャケ買い」ならぬ「邦題とジャケット騙し」で、思わず借りてしまい、しかしもう、その頃レンタル料金は、新作でなければ一本300円で一週間とかになっていたので、爆発的な広がりは、まったく収まる気配を見せず、当時はこの文化は、テレビと共存する形で無くならないだろうと思えたものです。

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